時は明治10年。
少年よ大志を抱け!
これは、米国人クラーク博士が、札幌農学校の教頭を辞して日本を去るにあたって、
教え子たちに贈った言葉。若者は大きな志を持って世に出よという意。
それは、開国間もない日本人にとって、とても心打たれる言葉であっただろう。
その後、日本は幸運も重なり数々の戦争に勝利していき、強国となった。
ところが、第2次世界大戦の敗北後は、見る影もない。
日本は、戦争を放棄し、経済大国への道を歩むことになった。
しかしそこには「志」という言葉は無かった。
戦前の教科書には、とかく「志」という表現が使われていたようだ。
それが戦後になるとマッカーサーの指導の下、「志」から「夢」へと変わる。
これはアメリカンドリームなどにちなんでいるとも言われる。
それは、必ずしも悪いことではないが、国の力を上手いこと削いでいるように見える。
「志」と「夢」は違う。
「志」は個人の枠を超えた世の中のための希望であり、使命感にも近い。
一方で、「夢」は個人的な理想像であり、趣味や興味の延長にあったりする。
その意味で、「志」は気概が大きく違う。そこには強大なエネルギーが存在するのだ。
確かに、いま平成生まれの人間が「志」という単語に出会う機会はほとんどない。
あるとすれば、幕末の志士を語る時くらいか。あれは「志」というほか無かったのだろう。
そして今、時は令和。
世界はかつてないほどに平和であるが、一方でVUCAの時代とも言われるほど混沌としている。
そんな時代に生きる人間は、行く先を見失いがちである。
なぜなら、世界はめまぐるしく変化し混沌としているから、正解が分からない。
一方で、平和に暮らせる社会だから、目の前には必死になる必要もない。
ただただ、どうしたらいいかを教えてくれない世界で、生き延びるしかないのである。
そんなときに必要なものは、まぎれもなく完成された自己意識だ。
外部に答えはない。答えは自分の中にしかないのである。
自分は何をしたいのか、それは死ぬまで続けるのか、何のためにいきるのか。
それは、まさに「志」によって決まってくる。
いま、この時代だからこそ、自己実現のために、「志」を持たなくてはならない。
【本日紹介する書籍】
これは、グロービスの方が書いた本だが、
志についてよくまとまっている。特に、志が大志でなくてもよいとする著者のまとめは、
多くの人にとって、助けとなることであろう。
|
|


