「人生を自由に生きたい」これは、人類普遍の願いではないでしょうか。
でも自由には責任が伴うわけで、不自由なくらいが気楽であるという考え方も認めますが、
ここは、一旦、自由を求めるものとして、考えていきましょう。
自由に生きるとは
自由に生きるということをまずは、定義します。
自由とは、すなわち、「自分の感情に正直に生きる」ということです。
例えば、学校でいうところの「校則がない」ということの「自由」も、この定義で包括できますね。
他にもいろいろな「自由」があると思いますが、そのほとんどが上記の定義で包括できると思います。
そう考えると、実は自分たちはまだまだ自由を手に入れていません。
小さいころに抱いていた夢は諦め、日々衣食住をこなすために日銭を稼ぎ、
自分の本当の感情はどこやらと、、、、そしてなにがしたいのかさえ分からない。。。
そんな人が世界中にたくさんいます。さらには、特に日本は顕著でしょう。
自由は、そう簡単に手に入るものではないのですね。
でも、それでも、私は、自由を手にしたいと思っています。
いくらいまの社会が不自由であっても、あきらめたくはありません。
不自由は気楽かもしれませんが、自由のほうが本来もっと気楽であることを思い出しましょう。
自由に生きるために必要な要素
では、どうしたら自由にいきることができるのか。
それは、ずばり「自分の感情を知ること」です。
なんのこっちゃないと思いますが、それはそれは、結構大変なことです。
前段でお話ししたように、今、ほとんどの人は「自分が何をしたいか」を知りません。
「協調性をもちましょう」「前例がないことはやめましょう」「危ないからやめておきましょう」
そんなこんなな善人面の助言により、多くの人は、それで納得しきっています。
でも、それで納得したのは本当の自分でしょうか?
本当のあなたは、「もっと〇〇がしたい」があったのではないでしょうか。
それを取り戻す作業が必要です。
大事なのは、自分の感情です。思いです。意思です。意志ならもっと良い。
それが自分を動かします。周りの人を、世界を動かします。
そこで初めて、自由に生きることができるでしょう。
自分を知るために外を知る
そうはいっても「自分が何をしたいか」なんて、そう簡単に分かりません。
たしかに小さい頃は、「サッカー選手になりたい」と思っていたかもしれません。
でも、それが本当にしたいことなのかと冷静に考えたところで、
善人面の助言に関係なく、「やりたことではない」との結論になるでしょう。
そうやって考えていくうちに、多くはやりたいことに出会っていないことに気付きます。
そして、やりたいこと探しという途方もない作業に取り掛かることになります。
そこで、覚えておいていただきたいのが、
なぜやりたいことが見つからないかの答えは、次の二つです。
①やりたいこと探しの方法を知らない
②探すための検討材料を知らない
この2つに尽きます。
そして、共通していえることは、①も②もどちらも圧倒的に我々は無知であるということです。
この議論にまで到達できた人は、かなり進んでいると思います。
でも、ここから先に到達できるかどうかで、大きく人生に差が出てきます。
外を知ることの重要性<アウトプットよりインプットに決まっている>
よく、多くの場面で、「アウトプットが最重要」かのうように言われますが、嘘です。
最重要なのは、どう考えても「インプット」です。
理由は簡単です。普遍的な心理を考えたいときは極論を述べましょう。
それは、赤ちゃんからの成長を考えると明白です。
我々は、どう考えても「インプット」から始まっています。
生まれ落ちた瞬間に、目に飛び込んでくる情報、スタートはここです。
その瞬間に、世界の異変に驚愕し、そして泣きわめきます。
インプット→感情→アウトプット というステップですね。
と、極論を考えましたが、小学生くらいまではこの繰り返しです。
目の前の学校生活を送ると同時に、歴史で過去を学び、理科で未来を学び、
国語や算数で現実世界を学び、インプットの連続の中で、様々な感情を抱き、
そして、「わたしはこうしたい」のアウトプットにつながる感情が芽生えます。
中学生くらいになると、その未来にかけて色々チャレンジをすることでしょう。
でも高校生くらいになると、その夢は諦めて現実的に大学に行く選択をして、、、うんぬん。。。と。
といろんな例を挙げてしまいましたが、
結論、そう、インプットが全ての始まりです。
インプットしないと何も始まりません。
空を見上げなければ、星があるなんて、思いもしません。
海を知らなければ、その先に行きたいなんて、思いもしません。
それと同じように、何かを知らなければ、何かをしたいなんて思いもしないのです。
そうじゃないひとがいたら教えてください。笑
自由を勝ち取るにも、知るしかない
と、そんなこんなで、知ることの重要性は分かったと思います。
物事を知ることで、自分の意思が決まります。
さらに、このことは、自由に生きるためにさらなる力を発揮します。
たとえば、大学にいけばいろんなことが学べて就職にも有利で、、、うんぬん、、、
ということを知っただけでの、意思は決まるかもしれません。
でも、それだけの知識ではかなりの困難を強いられるでしょう。
ご存知、そうでもなかったりするからです。
大学に行っていても就職できなかったり、大学よりも学部が重要だったり、
学歴よりも英語力のほうが重要だったり、あげくのはてに人柄が重要とかだったりコネだったり、、、
そうです、知識は、思った以上に多くのことを仕入れておかないと、
仮に自分の意思が決まっていても、それをくじくぐらいに現実は困難です。
だから、、、我々は、「知る」という行為を止めてはいけないのです。
とにかく、インプット、インプット、インプット!!!!!!
知ることに制限を設ける必要はないです。
さいごに
ただし、忘れてはいけないことがあります。
「どの情報をインプットするか」これだけは忘れることのなきように。
「みんなが英語を勉強するから私も英語をやる」これはいらないインプットです。
自分の意思の先にあるものを全力でインプットしてください。
そうすれば、自分の人生を自由に、それどころか人生を無双できること間違いないでしょう。


