偽善のすすめ①~利他とは圧倒的な利己~

人生論

利他の本質に迫るまで


私は長らく、ずっと考えてきた。
『利他とは何か』

利他、、、たとえば、
『人のためになることをしなさい』
幼い頃はそう家でも学校でも教わってきた。

だが、それと同時にそう言う大人は全くもってそれができていない。

万が一、そうも言い返そうものならば、
『人の振りみて我が振り直せ』だのと、ほざく。よく言ったものだ。
自分を棚上げし、開き直り、なおかつ他人には強要する飛んだパワハラワードである。
子供ながらに、これが道理の分からない大人たちの成の果てであると悟った。
この頃から、私は尊敬できる人なんて誰一人いなくなった。

利他の本質に気付く

それでも、ひときわ正義感の強かった私は、ひとかけらの望みをもって成長する。
きっと社会人となり同じ目線で同じ環境で見たら、「人って成長するんだな」「尊敬できる人ばかりだな」と思うかもしれないと信じていた。

しかし、ご存知、現実は違う。
それどころか、社会人のほうが深く闇をもった欲望の渦巻く世界であった。
そこでどう考えてもそうとしか思えない1つの結論を得た。
「人は圧倒的に根本的に利己的」ということだ。
これは正義感で生きてきた自分には受け入れがたい真実であったが、だがこれならば人間の行動の全てに説明がつく。

そこで改めて『利他とは何か』を問おう。
それは、『圧倒的な利己』そのものだ。
なんとも悲しい結論だが、その証拠は、どの利他の良さを解く本を読んでもこのように書いてあることが1番物語る。
「人に良いことをすると、いつか自分に返ってくるもの。」
これを読んで、全読者は純粋に利他だと思えるのか甚だ疑わしい。後半の結論はどう読んでも利己でしかない。
つまり、利他とは、
遠い先にある利己のための先行投資でしかない。その動機は常に利己である。

『圧倒的な利己』を受け入れろ!!

悲しい。。。
人間とはこんなにも貪欲で我が強くて、醜い生き物なのかとつくづく思わざるを得ない。
だが、悲観している暇もなく、我々人類、いや生物のすべてが、細胞レベルで利己的な動きをする。それもそのはす、それは生存本能である。
生存本能に動かされる細胞の塊である人間が利己でないはずがない。これはどうにも覆しようのない事実なのだ。

さて、ここまで納得してしまうと、案外プラスな側面も見えてくる
まずは、利己で良い。それは仕方がない。人間だから。

けど、win-winの方がいい。そう心の底から思えてくる。
なぜなら、win-lose よりも我々はwin-winのほうが
さらに自分にwinが舞い込んでくることを知っている。

そもそも、人は圧倒的に利己なだけであって、本来は相手をloseにすることに拘りはない
たまたまwinに対応するのがloseなだけであり、win-winが取れるものはその方が良い。
社会にはそんな関係もたくさんある。
この事は、社会を形成する動物なら、自然と理解しているのだ。
そしてこれが所謂、『偽善』と呼ばれるやつなのだろう。

つづく,,,

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