人生の意味について考えたことはあるだろうか?
だいたいの人はあるとは思うが、細かく分析して考える人は半分くらいだろうか。
私の肌感覚としてはあまりいない。
ただ、このブログまでたどり着いた人はおそらく人生の意味について考えたことがある人が多いような気もする。さて、本題であるが、人生の意味についてだが、私はおそらく「意図して意味はない」と考えている。しかし「意味付けする価値はある」とも思うのである。
考えの起点は宇宙創成に
人生に意味はあるのだろうか、私はなぜ存在するのか。
これを考えるときには、まずは前提条件を考えることになるだろう。
そう思うと、そもそもなぜ人類は存在するのか、なぜ生物は存在するのだろうか、なぜ地球は存在するのだろうか、なぜ宇宙は存在するのだろうか。
そういった疑問になるはずだ。宇宙の誕生の意味が見つかれば、帰納的に自分の人生の意味も理解できる。
そこで一番初めの宇宙の始まりのことを考えてみると、
それはビックバンによってもたらされている。※現代の科学では。
そしてこれが(宇宙をも想像する)何者かによって意図的に起きたかどうか、
という点で考えることになる。
視点を変えてみる
だが、結局今の科学ではここに答えを出すことはできない。
そもそも我々の宇宙の外側にももっと広い宇宙があり、
他にも同じ宇宙があるかもしれないという多元宇宙論なども存在する。
科学の力では答えが出ていない。
ただ、ここでこの思考もギブアップになりそうだが、少し視点を変えてみよう。
もし仮にこの結論が出たとして、(宇宙をも想像する)何者かを「神」と呼んで、
神が我々を何らかの目的で想像したとしよう。
あなたは、その意図に対して従順になれるだろうか?
サルの世界で考えてみる
もしも自分がサルとして生まれていたとしよう。
ただ、ある時気づくのである。
「どうも今いる世界は狭い。壁の向こうにはもっと広い世界があるはずだ。」と。
そう、私は動物園のサルとして生まれているのだ。
ここでは、神は人間であり、自分は動物園のサルとしての
見せ物としての生き方を意図されている。
それが生きる意味だと受け入れることができるだろうか?
おそらく、壁の向こうに思いを馳せるほどのサルなら、
それを受け入れることは容易ではないはずである。
人生に意味は無いし要らない
以上のことから、
今の科学では宇宙誕生の意味を、
強いては人類の生きる意味を見つけることはできないし、
仮に意味があったとしても、その意味に従順になることはおそらくできない。
↓続く↓
人生の意味②


