私が怒らない理由

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私は基本的に怒らない。
いや、正確には怒りを容易に表に出さない。である。

最近、こういう質問をされた。
「本気で相手のことを思ったら怒るよね?」
思わず反論しそうだったが、反論してもその人の凝り固まった思考が一夜にしてひっくり返ることは、宝くじに当たるくらいあり得ない。結局何も言い返さずに終わったが、のちにこれについて考え直してみた。

そもそも怒りというのは、大半が一過性のもの

一過性ということは、それすなわち怒る必要は無かったことになる。
ではなぜ、そんな無駄なことをしてしまうのか。それは人間は根本的に利己的であり、
また基本的には、感情をもった”動物”の一種であるからだ。生理現象なのだ。

人間は理性をもった動物である

その感情的で利己的な生理現象を抑え込むことができるのが、理性である。
たぶんこの理性がなければ、今頃人間は”人間”では無くなっていただろう。
感情をコントロールすることができる、この理性という力を充分に使っていく必要がある。(すべての感情を抑えてはいけない)

理性的に考えると、怒りはほとんどの場合ナンセンス

怒ることで得られるメリットは何なのか。たぶん、ほとんどない。
あるとすれば、怒りを感じた人のストレス発散くらいだろう。
しかし、逆にデメリットを考えると、ものすごく沢山思いつく。

人は基本的に怒られても成長しない

これについては「なにくそ根性で頑張るんだよ」という反論がありそうだが、そもそもそんな根性を持っている人はごく一部である。統計データもあるが、そのソースを確認するまでもなく、その反論者すら、怒られるよりは褒められるほうを選ぶだろう。

また、すでにその「なにくそ」という点が大きく冷静さを欠いている。
物事を最高のパフォーマンスで進めるためには、
冷静さこそ欠かしてはいけないにも拘わらずだ。

一見、その事象に関しては改善されるかもしれないが、本来のゴールのための近道になったかを全体を通して俯瞰してみよう。たぶん別のところがおろそかになっているはずである。さらには、平均回帰の原理という理論を聞いたことはあるだろうか?

これは、試行の結果はその個人の本来の実力に収束するようになるという理論である。ある時に、いつもよりも実力が発揮できなかった場合、次の回にはいつもより実力に近づくか、実力よりもいい結果が出やすいということである。これを踏まえると、いつもよりも実力が発揮できなかった場合に、怒ろうが怒らないにしても、つぎの結果はそれよりもいい結果になるのである。怒りの不要さがよくわかる。

怒っても変わらないのなら怒らないほうがいい

ここまで考えると、怒ることの無意味さに絶望してくる。
振返ってみれば次の4点となろう。

怒ることの無意味さ

●怒ることは相手の結果に影響しない
●トータルパフォーマンスは下げる
●褒められるほうが伸びる
●周りの雰囲気を悪くする

そして何よりもこんなに無駄なことに自分の時間と労力を捧げますか?
ということである。ストレス発散は別のところですればいいのだ。

本気で相手のことを思ったら怒るよね?

以上のことを踏まえると回答は「怒らない」になる。
なぜならお互いにとってナンセンスだから。つまり結果的に相手のためになっていないのだ。

そもそも、相手のことを思ったところで、基本的に相手のこと正しく理解できる人なんていない。下記のようにプロセスを分解してみると、分かりやすいが、人間はプロセス②を錯覚しやすい。

勘違いプロセス

①私は相手のことを思っている。
②だから、私は相手のことを理解している。
③だから、私の意見を強く相手にいえば、伝わるはず。

すべてにおいて怒ることは悪なのか

そんなことはない。理性的に考えて怒ることが時に正しいことはあると考えている。
だがしかしそれは限りなく少ない場合である。それは、
①自身の生命の危機にさらされたとき、または、
②怒ることのデメリットを差し置いても必要性があるとき のみだと考えている。
まず、①自分の生命の危機にさらされた時というのは、具体的には暴力やいじめだろう。

そもそも怒りは一種の防衛本能なわけであり、その防衛機能まで取っ払う必要はない。
たとえていうなれば、怒りを軍としてではなく、自衛隊として使うのである。
次に、②怒ることのデメリットを差し置いても必要性があるときであるが、
たとえば、自分の子供がある程度一般的に非道徳的な行いをしたときとかどうだろう。
この場合は緊急性が高く、また他のパフォーマンスを下げることはやむを得なそうだ。
また、それこそ怒りによって与えた”痛み”が本人にとっての何よりの学びになるはずだ。

ほかには、自殺行為を踏みとどまらせたいときの一手でもあると思う。
私の周りにはそういった危うい人が多いのだが、こういう場合、理論的な細かい説得は伝わらない。
その時の一手として、感情的に伝えてみるのも時には大事かもしれない。

敬虔な仏教徒の国ミャンマー人は怒らない

ミャンマー人は怒らないらしい。子供のころから怒られたことがない人が多いらしく、
海外の人がミャンマーでビジネスする際の鉄則のひとつとして列挙されるほどだそうだ。

しかし、なぜ怒らないのだろうか。それは、仏教の教えだそうである。
仏教にもそれこそいろいろな流れがあるわけではあるが、同じ仏教国の日本人なら、
怒らないことも可能なのではないだろうか。こういうところは、宗教の良いところである。

大事なのは調和と協力

本来、人間は本能的にこのことの重要性を知っているはず。
どんなに強くて優秀でも100人対1人ではナポレオンでもない限り勝てません。
そして日本人はとくにその文化が強く根付いているはずです。
怒りという無意味なことは忘れて、100人で価値のある世界を作り上げようじゃないですか。ね!!
以上、なっがーい文章になりましたが、
より多くの人が、心安らかな時を過ごせるように、願わんばかりです。

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