人生論ー編集中ー



私は俗にいう、ゆとり世代。またの名を、さとり世代。
そう言われてきている。
なんと悲しいことに、それは主に揶揄された言い方であり、我々は社会に出るや否やそんな言い方をされて育っている。そう、まさに「お前らは出来損ないだ」というレッテルを張られている。
(いや、そりゃレッテル貼ってる人もいれば、貼ってない人もいるし、勝手に貼られてる感あるだけかもしれないし?)
ただ、私はそのレッテルを悪いものだとは認識していない。
これこそが我々の、(いや私の)アイデンティティだと思っている。
アイデンティティ(個性)を大切にする
そもそもこのアイデンティティというのもが重要視されてきたのも最近になってからではないだろうか。
そして個性というものを重要視し、かつその個性を体現するための環境構築としての協調性を重視し、のびのびと育つ環境を提供すること。
そんな大義名分のもと、画一的な指導方針だった教育プログラムを改変した。
それが、いわゆるゆとり教育である。
(でもゆとりをやりすぎちゃった結果、測定可能な学力は低下。多少是正した。それが今現在。だが、測定不可能なものは確かに我々の中に残っているだろう。)
自分とはなにものかを考える
そうやって個性を重んじる教育の中育った我々に待っていたのは、
自分探しという、人生の果てしない迷宮であった。
探すためのヒントこそ用意されてはいたが、
あくまでもヒントであり、それ以上の答えはない。出せない。
だから、自分たちでひたすら考えて、考えて、考えて、、、
生きる意味を、やる意味を、あらゆる意味を探るのである。
意味づけすることが重要
この果てしない迷宮のなかで思うことは、
考えることが重要とする意見はすでにもう不要であるということ。
なぜなら、考えることは飽きるくらいに行っているのだ。
そんな我々がもとめるものは確かな答え。(または考えない選択だったりする。)
その答えのないものは何も頭に入ってこないのだ。
根性論なんてもってのほか。論理的に明快にかつ端的にまとめられた、
理論、答え、そういったものがないと何も納得しない。
意味のないことはしない(正確には、意味の見出せないことはしない)
そんな意味が重要な我々は、無駄なことはしない。
とくに若い人のお金の使い方は、欲しいものにはお金をかけるが、基本は節約する傾向にあるとされるが、
そのことにも意味付けは関与していると思う。だって、節約することのほうが意味が大きいから。
思慮深いビジネス書・実用書の有効性
意味づけ世代に参考になるのが、ビジネス書や実用書だ。そこには自分では的確に意味づけることができなかった”意味”が記してある。
 もちろん、意味不明なものもたくさん存在する。「がんばれば成功する」「思いがあれば成功する」など、こういった類の本は、意味づけが圧倒的に足りない。A→B→Cという理論を提示できず、A→Cを唱える著者はよっぽどの善人か思慮浅いとしか思えない。A→Cを受け入れいないのは素直でないと思う人もいるかもしれないが、A→B→Cに勝ることはない。(だだし最も最良な選択は、A→Cで納得したふりをしてCを始めながらA→B→Cを探る。)
 だがそうではなく、よく研究され体系的にまとめれた本も数多く存在する。その本と出合うと、思考がかなり前進する。そこには自分では見つけられなかった答えA→B→Cがある。
編集中 2018年02月06日

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