「社命による異動を繰り返すことは悪くない。 自分の希望が叶うとおもうなよ。
それに、結果的にはみんな良い経験ができるというじゃないか。
会社はなんだかんだ適切な人事をしてくれると感じている。
自分で選んで失敗するよりいいだろ。 俺は社命の異動に従い続けることに決めてるよ。 」
こんな先輩の助言を貰う人がいるだろう。一見するとカッコいいかもしれない。
しかし、将来ある皆さんはこれを断じて信じてはならない。
そして、それを唱える人はこの考えが巧妙な罠であることに大抵は気付いていない。
これは人間の本質にせまる巧妙な罠だ。もはや組織の陰謀かもしれない。
では、よくよく考えてみよう。 まず、根本的に自分の希望が叶ってないのだ。
このこと自体は、疑い用のない損失である。
その代償として、社命の異動での良い経験が得られるという構造である。
なぜならば会社はみんなの適正を考慮して適切な人事をしているし、
自分が思うより他人に見て貰うほうが正しく評価されるものだ、と説明される。
ほうほう、それらしい。 だがしかし、ここに罠がある。1つは簡単な罠だ。
それは、本当に他人のほうが正しく評価できるのか?ということである。
これは大方場合によるだろう。だから最悪、この場合はそうかもしれないと、認めてもよい。
ただ、2つ目はとんでもない罠である。
それは代償の部分で、人は自分の過去を良かったものと捉える傾向があるため
そもそもこれは代償になっていないのだ。
どういうことかと、すこし辛辣な例えで言うなら、
どのみち殺すのに『情報を吐けば助けてやる』というよくあるサスペンスの悪人と同じである。
これにならって言うと、どのみち幸せになるのに『社命に従わないと幸せになれないよ』といわれるのである。
脅される側は結末をしらないから、従うしかなくなるのである。
言い換えれば、自分でキャリアを選ぼうが、社命のキャリアを進もうが、
それ自体のリスクは同じである。
そして、どちらを選んでどんな結果になろうとも、幸せにはなれるのだ。
(※もちろん一般論である)
ちなみに、この人間の傾向は『認知不協和の回避』というものが絡んでいる。
それは、『ある事実Aに対して、相反する変えがたい思いがある場合に、ある事実Aを捻じ曲げる』という回避行動である。
今回については、『過去という事実に対して、自分の人生は良かったと思いたいので、悪い過去も良い過去だったことにする』という回避行動である。
さて、皆様はどっちを選ぶだろうか。
いづれにしても幸せにはなれるのだ。ただ、よく考えてほしい。
どちらがより幸せなのだろうか。1度切りの人生である。
社命に任せっきりにするのか、自分でちゃんと考えて決めるのか。
もちろん、自分で決めるとはいえ、組織なので希望通りにいくわけではない。
しかし、自分の意志すら表明しないことは、それは大きなチャンスロスなのではないだろうか。
どうせかなわないから表明もしないくらいないら、
表明をし続けて最後はそんな会社辞めればいい。
もう一度言う。
人生は一度きりだ。
【本日紹介する書籍】
ふろむださんの
人生は、運用よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている
この中に、認知不協和についてはわかりやすく書いてあるので、掲載しておく。
本の内容としては、心理学の本である。人生を好転されるヒントが得られる。
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