最近感じるのは、自分がしょぼすぎるということ。
いや、これを誰かに言えばそれは否定されるかもしれないが、
確実に自分が定義する生きる意味からすれば、しょぼい。
ただのアリと同然、戦闘ゲームでいえば
一気になぎ倒される雑魚となんら変わりない。
そして自分が尊敬する有名人の中に、すでに同年代が数多くいることに驚愕する。
大谷翔平、メンタリストDaigo、前田裕二、など。
彼らは戦闘ゲームでいえば、ボスキャラである。
私の定義する生きる意味を全うできていると思う。
対し、私はとりあえず、それなりに大手の企業に就職はしたし、
今の仕事にも満足しているが、どう考えても雑魚キャラを脱していない。
戦闘ゲームでいえば、ちょっと大きな軍隊の新米兵士でしかない。
このままでいいのだろうか?ダメに決まっている。
私は死が怖い。その恐怖から逆算すると、どうしても生きる意味が欲しい。
その意味とは「後世に名を残すこと」これ以外にないと思っている。
そのための前段階として「世界に影響を与えること」が必要である。
果てしない野望である。
「だいたいの人はそう思いながら兵隊を続けるんだ」
なんていうひとの意見は聞きたくない。
そう考えたら、思考が止まる。
そういう人は兵隊を続けていればいい。
自分がいなくてもこの世界は回る。
そんな怖いをよく受け入れられるものだ。
人によっては、死を受け入れるという感覚があるようだが、
それはどうだろう。
本当か?本心か?錯覚じゃないと言い切れるのか?
深く探るとそれは妥協ではないのか?
だが、自分がいなくてもこの世界は回る。
これは紛れもなく真実である。
でも自分がいたからこそ、歯車の回転が変わった。
そんな人生にしたくないか?
自分がしょぼすぎる
人生論
